2024年


ーーー10/1−−−  外面(そとづら)が良い人 


 
私が通っている教会では、教団の別の教会から牧師を招いての礼拝が、年に数回ある。先日は、小諸の教会からI牧師に来て頂いた。I牧師は小柄でにこにこしたお顔の、年配の女性である。以前、二回ほど同様の機会にお会いしたことがあったが、比較的新参者の私の名前は、おそらく記憶にないだろう。

 礼拝が終わった後、I牧師を囲んで、教会の有志が昼食会を催した。食事をしながら、自己紹介や、近況報告を、一人ずつ座席の順番で行なった。私の番が回ってくる頃、「人の中身は他人には分からない」と言うような話題になった。それに便乗して私も、「私も見た目と違う人間です」と話した。

 見た目と違うと言うのは、カミさんがよく口にする事である。家での私の言動や行動が、普段接している他人から見て感じるものとは、おそらくかなり違うだろうという事である。

 私は一例を引いて、教会員のある方から、「大竹さんは真面目だからお酒なんか飲まないでしょう?」と言われた事があったが、それは全く事実と違うと述べた。さらに、言動に関しても、家の内と外では大きく違う事があるというのは、自分でも認めていると言った。ただ、その具体的な内容は、この場では言えないと申し添えた。すると出席者のある女性が、「ええっ、大竹さんて、本当は悪い人なの?」と言って、一同の笑いを誘った。

 カミさんによれば、「あなたは外面(そとづら)が良いから、みんな騙されてるのよ」だそうである。それを述べたら、それまでじっと黙って聞いていたI牧師が口を開いた。「外面が良いのは、悪い事ではありません」。そして、「気難しい顔をして、嫌なことばかり言う人に比べたら、外面が良い人の方が好ましいです。だって、周囲の人を不快にさせることがありませんから」と続けた。なるほど、そういう考え方もあるのかと、妙に納得をした。

 食事会が終わり、I牧師は会員の運転する車で駅まで行くことになった。私は車に乗り込むところまで見送った。多少歩行に難がおありのようだったので、必要が生じれば手を貸すつもりだった。他にも数名いたので、私の出番は無かったが、I牧師は車のドアのところで私に向いて見送りの礼を述べた。私が「外面が良い性格ですから」と自嘲的な事を言ったら、「大竹さん、あなたのその笑顔が、回りの人の救いになるのです」とおっしゃって、車の中に入られた。





ーーー10/8−−−  間違い探し


 新聞の日曜版に「間違い探し」のコーナーがある。前の週の分が残っていたのでやってみたら、8ヶあるはずの間違いが、7ヶまでは見付かったが、残りの1ヶがどうしても分からない。

 「本当に8ヶあるのだろうか?」などと口走りながら、長い時間紙面と睨めっこをしていたら、カミさんが横から入り込んできた。彼女は、数日前にトライ済みだが、私が悩んでいるポイントを見たかったのだろう。紙面を取り上げて、眺め出した。

 ちなみに、私は見付けた間違いにペンで丸印を付ける。カミさんは、私より前にやることが多いのだが、間違いに印を付けない。「間違い探し」は私のテリトリーであり、私の楽しみを奪ってはいけないからと、彼女は間違いを見付けても印を付けないのである。申し添えておくと、他のクイズやパズルは、彼女のテリトリーであり、それらに関しては私はノータッチである。

 紙面を眺めながら、カミさんもずいぶん時間が経った。一度やったにも拘わらず、やはり悩んでいるようだった。そして最後にこう言った、「8ヶあるわよ。あなたちゃんと丸を付けてあるじゃない」。

 私が「そんなはずはない、丸の数は7つだ」、と言ってもう一度紙面を見ようとしたら、彼女はすかさずこう言った、「右の図には丸が7ヶ付いているけど、残りの1ヶは左の図に付けてあるわ」

 私は8ヶの間違いを全て見付けていたのである。しかし、迂闊にもそのうちの1ヶだけは、左の図に丸を付けていた。実際に、全てを見付けているのだから、これ以上いくら時間をかけても、意味が無かった言える。にもかかわらず、丸を数える際に、右の図で勘定をしていたから、7ヶしか見付けていないと思い込んで、一所懸命に続けてたという顛末であった。

これは本当に盲点であった。推理小説に使えそうなネタである。全然関係ないけれど、ヒッチコックの映画「ダイヤルMを回せ」を思い出した。

ともあれ、こんな間違いは、初めてである。図らずも、これは新種の間違い探しになったというわけだ。

などと、気取ったことを言えば聞こえは良いが、こんな勘違いは、単なる老人性のボケだと言われそうである(笑)




ーーーー10/15−−−  街角ピアノ


 
テレビ番組「街角ピアノ」をときどき観る。街角に置いたピアノを、誰でも自由に弾くことができ、それをカメラで動画に撮って編集した番組である。プロのピアニストが登場することもあるが、アマチュアの方が多い。老若男女、ベテランから初心者まで、様々な人がピアノに向かう。日本国内で収録したものもあれば、海外で撮ったものもあるが、概して海外版の方が、演奏者のバラエティに富んでおり、意外性があって楽しい。

 街角ピアノは、ピアノの演奏を通じて生まれる、行きずりの人々の交流、共感を記録する番組だと、見始めた頃は理解していた。ところが、演奏が周囲の人々の関心を惹いていないようなケースも多い。むしろ海外版では、無視して通り過ぎる人がけっこういる。それが却って、自然な印象を与える。あちらでは、こういうことが特別な事でも珍しい事でも無いのだろう。関心を持たない人がいる一方で、嫌な顔をする人もいない。個人と社会との関係が、穏やかに調和しているように感じた。

 ところで、聴いている人が多かろうが少なかろうが、人前での演奏に接すると、多少なりとも周囲の反応が気になるものである。しかし、受けなかったとしても、端的に言えば、あまり上手でない演奏でも、開かれたスペースに身を曝し、何かを発信しようとする人のモチベーションには、こちらの心に響くものがあったりする。演奏はピンと来なくても、演奏者の発するコメントに共感を覚えることもある。

 オーストラリアのどこかの都市、シドニーだったか、初老の男性がピアノの前に座った。画面には説明の文章が字幕で流れる。男性は若い頃から趣味でピアノを弾いてきた。現在、日常的にピアノを楽しんでいるが、他にヨットが趣味とのこと。ふらっと現れたおじさんの趣味がヨットというのは、いかにもオーストラリアらしい。それはともかく、演奏が終わった後の、その男性のコメントが印象に残った。

 「ピアノは練習を重ねればスキルが向上する。それはヨットも同じ。スキルが向上すれば、自分が楽しめるし、回りの人も喜ばせられる。だから、ピアノもヨットも、続けていきたい」。




ーーー10/22−−−  繰り返される禁酒


 
骨折して以来、18日間禁酒をしたことは、先日記事にした。その期間が明けて、飲酒を再開したのが9月7日だったが、三日経ったらまた禁酒をすることに決めた。その理由は、体重の増加である。

 事故以来、足を傷めているので、運動ができない。当然体重が増えると思いきや、禁酒の18日間は、それまでよりも2Kgほど低い数値で推移してきた。それが、飲酒を再開したら、急に体重が増えてきた。明らかに飲酒との因果関係があると思われた。

 骨折が治って元の体に戻るまでの目安として、医者から3ヶ月と言われてきた。その3ヶ月間は、つまり11月の末までは、酒を控えることにした。傷が治って体が動かせるようになれば、トレーニングを再開できる。そうすればエネルギーの消費が増えて、肥満は抑制される。それまでの間、酒を控えてカロリーの摂取を制限しようと言う発想である。私がこれまで日常的に飲んできた酒の量は、親子丼一食分くらいに相当するのである。

 先の18日間の禁酒期間を過ごし、健康的、文化的な生活をして、あらためて反対側の飲酒の害を実感することとなった。

 A、 腹を下しがち

 B、 朝起きるのがつらい(寝坊する)

 C、 起床時の腰痛

 D、 体重の増加

 E、 意欲低下

 F、 酔いのため、夕食後に何もできない(仕事も、楽器の練習も、読書も、ビデオ鑑賞すらできない)

 G、 食欲不振

 H、 翌朝車の運転が心配(心配な時は、必ずアルコールチェックを行うが)

 

 酒を控えると言っても、完全に止めることは、あえてしない。あまり無理をすると、イライラして精神衛生上良くないと思うからである。日記に飲酒した日を記してあるのだが、それを見ると4日に一回ほどのペースで飲んでいる。それでも、以前の私のペースから見れば、明らかに少ない。なにせ毎日必ず飲んでいたのだから。週に二日は休肝日という標語があるが、現在の私は週に二日の飲酒日である。

 酒を飲まなければ、上記A〜Hが全て払拭されるのだから、これほど良い事は無い。逆に言えば、なんで酒なんか飲むのか、謎である。とか言いながら、回数は減ったとはいえ、やはり酒を飲まずにはいられないのだから、酒は不思議であり、人間は不思議である。

 「酒を飲まなくなった」という記事を、2017年5月に書いた。ある時それを読んだ次女が、「酒を飲まなくなっただって?」と、露骨に不信の眼差しで私を見た。確かにあの時は、一ケ月間ほど続いた後、いつの間にか禁酒の決意は崩壊した。今回も、オオカミ少年の結末に至りそうな気がする。いや、たぶんそうなるだろう。でも、それでも良いのだ。そんな事を繰り返しながら、人生を過ごして行くのである。「禁酒なんて簡単だ、何度もやったことがある」などとうそぶきながら。




ーーー10/29−−−  ウニの思い出


 
ある報道によると、近ごろは海外でも食材としてのウニの人気が高まっているそうである。それを聞いて、過去の出来事を思い出した。

 2001年に、木工仲間のグループで、米国西海岸へ視察・取材旅行へ行ったときのこと。フォートブラッグという海岸の小さな町に泊まった。その宿のすぐそばに、ウニの加工場があった。この辺りの海では、良質のウニが大量に採れるのである。以前にもこの地を訪れたことがある旅行リーダーのA氏は、このウニを食べることを旅のプログラムの中に入れており、日本から米と炊飯器を持参していた。

 朝早く、加工場を見学しに行った。水揚げされたばかりのウニが、ベルトコンベアーでどんどん運ばれてくる。それを、作業員たちがナイフでさばいて中身を取り出し、魚屋の店頭で見るような発泡スチロールの小箱に入れる。作業員はメキシコからの労働者が多いとのことだった。出荷先は100パーセント日本。出荷する小箱には、「金印」と印刷されたシールが貼られていた。航空便で日本へ運ばれ、魚河岸に届くのだろう。

 大粒の立派なウニばかりである。日本へ着けば、かなりの値段が付くだろうと思った。しかし、加工場は、高価なものを扱っていると言う雰囲気は無く、監視員なども居なかった。こっそり持ち出す作業員は居ないのだろうかと気になり、管理者に聞いてみたら、「この地ではウニを食べる習慣は無く、彼らにとっては何の価値も無いから大丈夫だ」との返事だった。

 その場でウニを分けて貰い、宿泊していたモーテルに戻った。ご飯を炊いて、食べてみた。私は、旅先で腹を壊したら辛いので、生ものは控えるようにしていた。それで、少しだけ頂くことにしたが、回りの人は採れたてだから問題無いと言った。私はそれでも恐る恐る口に入れたが、ウニに関しては馴染みが薄かった私でも、とても美味だと感じた。

 印象に残っているのは、北海道から参加した木工家。食べっぷりを見て、明らかにウニが好きな人だと分かったが、満面の笑顔で「こんなに美味しいウニは食べたことがない」と言った。その嬉しそうな表情は、今でも忘れられない。

 現地の木工家との交流や、巨木の森の見学など、実りの多い旅行だったが、あのウニの一件も、楽しい思い出となっている。